「教養としてのビートルズ学」という言葉を見かけて、一体どういうことなのかと考えた。ビートルズが音楽の教科書に載るようになって久しいし、親に教えられてビートルズを聴く子供もいるだろうから、教養として身につけたい向きもいるのかもしれない。自分が生まれたのはビートルズ解散後の1972年。両親は特にビートルズファンではなく、実家にビートルズのレコードが並んでいたわけでもないけど、ビートルズの音楽はいつの間にか幼少期の自分の脳内にインストールされていて、彼らをバンドとして認識して好きになり始めた頃には、いわゆる「赤盤・青盤」に入っているような代表曲はほぼ全部知っていた。そういう出会いだったので、改めて「教養」としてビートルズを「学ぶ」というのが自分にはよくわからない。そもそもビートルズの知識が教養として必要になる場面ってどこにあるんだろう。amass.jp
教養って何なのか。教養のある人とはどんな人か。学識と教養は違うのか。どうも、詳しい知識やトリビアを持っていたり、難しい問題が解けたりするだけでは「教養がある」とは見なされず、その豊かな知識を血肉化して人間性を高めている人が「教養のある人」ということになりそうだ。自分の持っている知識はきわめて偏っており、基本的にもの知らずなので、教養はない。ビートルズに関しては子供の頃から知りすぎていて、あらゆる曲のごく微細な部分まで忠実に脳内再生できる。血液の一滴一滴に彼らの音楽が流れていると真顔で言い切ることができる。こういうのはきちがいと言って教養とはまた別問題だろう。過剰にマニアックになることなく、ほどほどに、ちょうどいい感じに知っていることを教養と言うのかもしれない。